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掲載開始日:2021年3月8日更新日:2021年3月8日

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宮崎県長距離フェリー航路開設50周年について

昭和46年(1971年)3月に本県(細島港)と都市圏(川崎港)を結ぶ長距離フェリーが就航してから、令和3年(2021年)3月で開設50周年を迎えました。

本県長距離フェリー航路は、農畜産物をはじめとする県産品等を安定して大消費地へ輸送するとともに、人との交流を促進する重要な役割を担っており、本県経済活動を支える必要不可欠なインフラです。

半世紀にわたり皆様とともに歩み続けた航路の歴史をご紹介します。

周年記念

新船

航路の歴史について

本県初の長距離フェリー航路開設

せんとぽーりあ

昭和46年(1971年)3月、日本初の長距離フェリー航路(小倉ー神戸)が昭和43年(1968年)に誕生してから3年後、古くから海上交通の要衝として重要な役割を持つ細島港に、長距離フェリー航路(細島ー川崎)が開設され、「せんとぽーりあ」・「ふぇにっくす」の2隻が就航しました。当時は、九州自動車道が全線開通していない時代であり、幹線道路の激しい渋滞等により、関東地方へのトラック輸送は大変な労力を要しました。本県と関東地方を直接結ぶ本航路は、「海のバイパス」としてドライバーに重宝されました。(写真は「せんとぽーりあ」)

航路の充実

高千穂丸

昭和47年(1972年)7月、大阪航路(細島ー大阪)が開設されました。また、昭和49年(1974年)3月には、当時国内最速であった「高千穂丸」・「美々津丸」が、京浜航路(細島ー川崎)に就航しました。

所要時間短縮など利便性が向上するとともに、当時の新婚旅行ブームもあいまって、新婚客を含む多くの観光客が、フェリーを利用し宮崎の地を訪れました。(写真は「高千穂丸」)

宮崎港への移転

パシフィックエキスプレス

平成2年(1990年)4月、南九州の流通拠点・リゾートの玄関口として開発が進められてきた宮崎港に、大阪航路(宮崎ー大阪)が開設(細島港から移転)されました。また、平成6年(1994年)4月には、川崎航路(宮崎・細島ー川崎)に、当時高い航海速力を有した「パシフィックエキスプレス」・「フェニックスエキスプレス」が就航するとともに、高知港・那智勝浦港(和歌山)への寄港が実現するなど、大都市圏以外との交流も盛んに行われました。(写真は「パシフィックエキスプレス」)

現在の航路

みやざきエキスプレス平成26年(2014年)10月、神戸航路(宮崎ー神戸)が就航しました。神戸港の利便性の高さなどにより、多くの旅客に利用され、魅力ある航路として現在も運航を続けています。(写真は、現行船の「みやざきエキスプレス」)

最後に

長距離フェリー航路は、半世紀にわたり人とモノを運び、本県発展に欠かせない重要な役割を担ってきました。今後とも、多くの方々に親しまれ、宮崎と都市圏を結ぶ架け橋として、発展していくことを期待しております。

お問い合わせ

総合政策部総合交通課広域交通・物流担当

〒880-8501 宮崎県宮崎市橘通東2丁目10番1号

ファクス:0985-24-1383

メールアドレス:sogokotsu@pref.miyazaki.lg.jp