宮崎県季刊誌創刊夏号Jaja
 【特集】堂々、本格焼酎>>宮崎焼酎の概略蔵元を訪ねて蘊蓄知事、焼酎を語る蔵元セレクション

井上康生選手

いのうえ こうせい

1978年5月15日、宮崎県都城市生まれ。5歳から柔道を始め、東海大相模高から東海大へ。現在、綜合警備保障に勤務しながら大学院生として、東海大学大学院体育学研究科(修士課程)を経て文学研究科コミュニケーション学専攻(博士過程)。世界選手権100kg級5連覇、シドニー五輪金メダル、全日本選手権5連覇など。得意技は内また、払い腰。183cm。五段。

 

2000年シドニーオリンピック。1回戦からオール一本勝ちで金メダルを手中に収めた、井上康生選手の勇姿と、亡き母の遺影を掲げて表彰台に立つ姿は、私たちの記憶に今でも鮮明に残っている。まさに彼が信条とする「攻めの柔道」を目の当たりにした瞬間だった。そして4月に行われた全日本体重別選手権100kg以下級で優勝、再びオリンピックへの出場切符を手にした。日本の若きエースとしてオリンピック2連覇が期待される彼に、柔道への思い、ふるさと宮崎への思いを語ってもらった。

家族の絆に支えられた宮崎時代

柔道は、父・明さん(元宮崎県警・五段)の影響で5歳から始めた。当初は「遊びのようなもの」だったというが、明さんが息子の才能に気いたのは小学4年生の時。平和台公園(宮崎市)の156段ある石段を、明さんを背負って登りきり、天性の足腰の強さと負けず嫌いの性分に、わが子ながら度胆を抜かれる思いだったという。それが小学5年生、6年生、中学2年生、3年生時の全国大会優勝につながっていく。

「父はとにかく厳しいコーチでした。道場では『先生』と呼ばせていましたし、殴られたり、蹴られたりもしました。ただ、家に帰ると優しい父親で、一緒に風呂に入ったりテレビを見たり。このあたりの切り替えは、今にして思うとすごいと思います。それから母が底抜けに優しい人でしたので、父の厳しさの分を補ってくれたといいますか、父母それぞれの役割の中で大事に育ててもらったのだと思います」

東海大相模高校を卒業する時、柔道部の送別会で「恩師は井上明です」と挨拶して父を泣かせたエピソードがある。また、シドニーオリンピックの表彰台で、亡き母の遺影を掲げていた姿に感動した人も多いだろう。彼の周りにはいつでも深く温かい家族の絆があり、それが今でも井上選手を支え続けているようだ。

8月19日、アテネ本番

アテネオリンピックに向けての抱負を聞いてみた。
「今は試合がある8月19日に、自分がいかに戦い、金メダルを取るかということしか考えていません。ただ、昨年はさまざまな種目の世界選手権でメダルラッシュだったので、選手団への期待が高まっていることは自覚しています。まずは、あくまで自分が金メダルを取ることですが、柔道の全階級でいい成績が残せるような環境をどう作っていくのか、自分にできることをやっていきたいと思っています。」
やさしい素顔の中に、ふと試合で見せるような厳しい表情がのぞき、日の丸を背負う立場にあるという強い自覚と自信をうかがわせる。
「私の柔道は攻めの柔道。勝ち続けることで負けを恐れる気持ちが出てくるものですが、それを振り払うためにも攻めるしかない。負けることは恥ではなく、いかに攻めて戦っていくか。その姿勢が大事なのだと思います。」
そう語る彼のまなざしはどこまでも真っ直ぐだ。わずか5分の試合時間の中で、彼は柔道の凄みや美しさ、ひいては自分の生きざままで表現しようとしているのかもしれない。

そして、ふるさと宮崎への思い

ひさしぶりの帰郷で、自宅の居間にくつろぐ井上選手はとても穏やかな表情だ。
「やはり宮崎に帰ってくると、ほっとしますね。中でも実家は特にいいものです。それに宮崎は食べ物がおいしい。東京でも時々親しい人たちと郷土料理店に行って、宮崎の味を楽しんでいます。そんなふるさとの皆さんに声援をいただけるなら、こんなにうれしいことはありません」
そして、自身が柔道少年として過ごしたふるさとの子どもたちへのメッセージ。
「自分自身、まだまだ道はこれからですが、早い時期に目標や希望を持つことは大切なことだと思います。これだと決めたら、柔道でも何でも一つのことにとことん頑張ってみる。仮に挫折しても、またトライすればいいし、途中で目標が変わっても構いません。目標を持ち、努力を続けることで、自分を大きくすることができると思います。私も柔道を通して、みなさんに元気や感動を与えられるよう頑張っていきますので、オリンピックではぜひ応援をお願いします。」

挑み続け、勝ち続け、なお勝つために攻め続ける自身の柔道の、一つの金字塔となるオリンピック二連覇に向けて、わずかに与えられた休息の時を、ふるさとは優しく包んでくれたようだ。8月19日、宮崎が世界に誇る星、井上康生選手がアテネで輝くことを期待しよう。(5月16日、26歳になった誕生日の翌日、宮崎の自宅にてインタビュー)

※「どんげ?」とは、宮崎弁で「最近どうですか?」と近況を尋ねる時に使う言葉です。



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