宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
神楽の世界

神楽の舞台となる神庭は、神と人がともにある非日常的な空間。神とふれあうための数々の決まりやしきたりが、高度な様式美を生み出す。

神楽の夜は、遠い先祖たちの記憶につながっている。

冬。夜神楽の季節がやってきた。しんしんと冷え込む山里の夜に、人々が神と集い、朝を迎えるまでともに舞い続ける夜神楽は、神話の国にふさわしい冬の風物詩だ。県内には各地に300以上の神楽が伝わっているのだが、日程が重複しているものも多く、そのすべてを見ようと思えば五十年かかるのだという。そのひとつひとつの里に、一年に一度だけ、神々が舞い降りてくる。神楽の夜の始まりだ。

神楽というと迫力のある面をつけた舞い手が、囃子(はやし)とともに踊る姿をまず連想するが、その形は土地ごとに多様で、たとえば高千穂町には56の、椎葉村には26の神楽があり、それぞれが独自の舞いのスタイルや、そこにこめられた思いを現代に伝えている。夜神楽は、冬至前後に太陽の復活を祈る冬まつりとしての性格を持つが、宮崎県には収穫を祈念する意味を込めた春神楽も多い。大きく分けると、狩猟・焼畑の伝統をもつ高千穂、椎葉、諸塚などの山間部では冬神楽、高鍋、宮崎、日南など早くから稲作が行われた平野部や漁労中心だった沿岸部では春神楽という分布になっている。

宮崎の神楽

よその人に見せるためでも、まちおこしのためでもなく、古くは室町時代以前から先祖の教えに忠実に、舞い継がれてきた神楽だが、寸分もたがわずに古式が伝えられてきたわけではない。いわゆる神楽三十三番への様式化が進んだ時代もあり、また、ほかの神楽から番付を取り入れたりした時代もある。あるいは修験道に根ざした厳しさをもつ霧島山麓の神楽から、きわめて庶民的な田の神さあの信仰が生まれるなど、時代や地域によってさまざまな変容を重ね、影響を与え合いながら、今日まで続いてきた。それは宗教というよりも、人々の暮らしに密着した民俗芸能であり、先祖が代々、日常の中で受け継いできた自然への感性そのものなのだろう。

宮崎の神楽

神楽の舞い手は、幼い時から稽古を重ね、ひとつひとつの所作や舞いを体に染み込ませてに上がる。彼らが身につけたものは、単に舞いというよりも神々と語るための言葉であり、儀礼なのだろう。その舞い手の方々に聞いてみたところ、ほとんどの人が舞いの最中にわれを忘れる体験をしていた。 直前には、極度の緊張にあるという彼らが、いざ始まってしまうと時がたつのも忘れるほどの境地に入るという。ある方は、それを「神様になる」と言い、ある方は「自分がわからなくなる」と表現した。

宮崎の神楽

山が深く、自然が厳しければ厳しいほど、その恵みや 日々の安寧(あんねい)へ喜びは増し、「神様」へ語りかける舞いや言葉が、重みをおびてくる。それを村ひとつで共有し、先祖代々受け継いできたことへの敬意と、神々の世界に交わる作法を知る人たちへの憧れが、私たちを神楽にひきつけ、酔わせるのかもしれない。

今回の特集は、神々のふるさと・宮崎の、代表的な神楽をご紹介しよう。

 

神楽の世界