宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
椎葉神楽
椎葉神楽
椎葉神楽

村内26の集落で毎年11月中旬から翌年1月下旬頃にかけて催される。番数や内容は多様だが、面をつけない素面の舞いが多く、人々が紋付姿で参集するなど厳格な神祭りの性格をもつ。平成3年、国の重要無形民俗文化財に指定。

椎葉神楽

明治42年、柳田国男が椎葉(しいば)の民俗や慣習を伝えた「後狩詞記(のちのかりことばのき)」を著したことで、日本に民俗学という学問のジャンルが生まれた。おそらくそれが、椎葉が広く紹介された最初の出来事であり、昭和8年に国道327号が開通するまでは、広大な東臼杵郡の奥に位置する椎葉は道をたどることも困難な秘境だったことだろう。

九州山地の一角の山深い村ひとつが香川県の3分の1近い面積をもち、そこに26の集落があり、それぞれに独自の神楽が伝えられているという事実に、伝承という力のもつ途方もない重みを感じてしまう。昭和30年代、ゴムホースの普及によって山水をひけるようになったことで、ようやく稲作が可能になったという椎葉では、今でも焼畑・狩猟時代の山への信仰が息づく。椎葉神楽は、山への祈りの神楽だ。

山に祈る舞いと言葉

神楽三十三番といわれるが、椎葉神楽はそうした様式的な統一はされておらず、たとえば栂尾(つがお)神楽(四十五番)、嶽之枝尾(たけのえだお)神楽(三十四番)、大(おう)河内(こうち)神楽(三十番)、尾前(おまえ)神楽(二十六番)、不土野(ふどの)神楽(三十七番)といった具合に、それぞれ古式を残した神楽が伝えられている。日本中の神楽の多くが三十三番に統一された理由としては、古来の神仏習合時代から伝えられてきた素朴な舞いが、近世になって伊勢神楽など神道系の神楽の影響を受けたためとする説が有力だ。

椎葉神楽は、こうした影響を受けずに、そのまま古色をとどめる数少ない例外といえる。26の集落のうちには、戸数が30戸ほどしかないところもあるのだが、その伝承が絶えることなく、また外部と入り混じって標準化することもなく、今日まで引き継がれてきていること自体が、情報社会といわれる現代では、ひとつの奇跡なのかもしれない。

集落ごとに多様な特徴をもつ椎葉神楽だが、ほかの土地の神楽との大きな違いは、神に語りかける唱教(しょうぎょう)が重視されることにある。椎葉では狩で山に入る時や焼畑で火を放つ時など、日常の所作のひとつひとつに、山の神に祈りや感謝を捧げる言葉が今も受け継がれているのだが、神楽も同様に、言葉が大きな意味をもつ。御神屋(みこうや)の彫りものや、舞手が手にもつ太刀などの採りものと同じく、椎葉では言葉にも、なにものかが宿る力があるのだろう。

また、大河内地区や尾前地区のように、神前に猪や鹿が奉納され、儀式としてその肉を竹串に刺して食べるところもある(尾前神社のシシマツリなど)。山里の暮らしや歴史を反映している椎葉神楽は、われわれの先祖たちの自然観をも表しているようだ。

 

神楽の世界