宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ
和牛肥育

一粒万倍の願いを込めて種をまく。椎葉村の正月行事だ。

山の恵みと伝承文化の膳

諸塚村・椎葉村

面積の大半を山林が占める奥日向地方は、古くから山に寄り添い、山とともに暮らしを営んできた。中でも平家の落人伝説が残り、数々の神楽が伝わる椎葉村や現在でも林業や椎茸栽培が盛んな諸塚村では、秋の蜂の子とりや冬場の猪猟などの山の文化も、大切に守り伝えてきている。

諸塚村で民宿を営む黒木むつ子さんに作っていただいた正月料理も、そんな奥日向の山の恵みと伝承が豊かに盛り込まれたお膳だ。正月に尾頭つきの魚を食べるところは多いが、諸塚ではこれが鮎になる。かつては耳川にも多くの鮎が遡上し、夏から秋かけてとれたものを囲炉裏で火干して保存して、正月までとっておくものだったという。また、大根と人参で作る紅白なますには、酢でしめた塩さばの切り身が入っているのも、昔をしのばせる。

黒木むつ子さんの正月料理

冷蔵技術のなかった時代は、新鮮な魚を食べられるのは海辺の町だけに限られ、日本中の大半が塩で処理した魚を食べていた。その塩魚ですら、山の村では大変貴重なものだっただろう。煮しめはいりこでだしをとり、干し竹の子と干しぜんまいが入る。特産の椎茸でも良いだしはとれるが、あえて海の産物であるいりこを使うところも、正月らしいのかもしれない。

写真のそばは、正月というより年越し料理。近年まで焼畑によるそば栽培が盛んだったこの地方では、そばは団子やそばがきにして常食しており、麺に打つのは特別な日に限られていたという。猪肉でだしをとり、しこしことした猪の身が添えられているこのそばは、ほかではなかなか見ることができないものだ。

とっておきの逸品「はち汁」

地元に住んでいても、めったに食べられない逸品が「はち汁」だ。お盆過ぎから晩秋にかけて、オオスズメバチの子をとりに山に入るのが、諸塚や椎葉の男たちの遊びであり、たしなみだという。その蜂の子を油で炒めてお湯を加え、味を調えたつゆで温かいそうめんを作る。蜂の子でとったつゆは、バターを溶かしたような濃厚な風味がありながら、後味がさっぱりとした最上のスープだ。大きな蜂の子もおいしく食べることができる。もちろん、もっとも危険な蜂といわれるオオスズメバチの巣から蜂の子をとるのは、誰にでもできることではない。

はち汁

諸塚村の「若手名人」の一人、藤本達志さんによると、お盆過ぎにクヌギなどの樹液に寄る一匹の蜂を見つけるところから、蜂とりは始まる。その蜂に白いビニール片などの目印をつけて、後はただひたすら真っ直ぐに蜂の後を追う。

「谷があろうと藪があろうと、真っ直ぐに越えていきます。山をどれだけ早く走って巣にたどりつくかが、腕のちがいということになっています。」

こうして苦労したとった蜂の子は量に限りがあり、よほどの客でないと振る舞うことはできない、まさにとっておきの料理だ。

花や野菜を刻みこむ椎葉の菜豆腐

無病息災祈願季節の野菜や花を刻んだものを豆腐に閉じ込めた菜豆腐は、椎葉村だけに伝わる料理だ。正月や結婚式、神楽の直会など特別な日には欠かさず供され、家ごとに季節ごとに色とりどりの豆腐がお膳に登場する。ちょうど神楽の五色の御幣を思わせるような色合いも、ハレの日にふさわしい。 椎葉村では、菜豆腐を食べるだけでなくまじないにも使い、正月を迎えると、家の壁に串に刺した菜豆腐をかけ、その年の無病息災を祈願する。

    

藤本達志さん

蜂とり名人の一人、藤本達志さん。蜂の子をとる際に巣を煙でいぶす地方もあるが、「何もしないでとります。冬になると蜂は死にますから」。山の住人たちの優しさだろうか。