宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

宮崎のおせち

小正月の伝統行事、柳餅(椎葉村)。柳の枝に餅や芋などを飾って、一年の豊作と無病息災を願う。

お膳に映されるふるさとの風土

人々が農耕生活に適した旧暦の中で生きていた時代、毎月一日と十五日は月が改まるけじめの日として、赤飯を食べる習慣があった。それは小さなハレの日であり、赤飯のほか、煮しめや煮豆といったご馳走を食べて、衣類もこざっぱりしたものを着、午後からは仕事を休むところも多かったという。

ハレ(非日常)とケ(日常)の区別がすでにほとんど失われてしまった現代だが、正月の祝いだけは昔と変わらないおめでたい雰囲気を伝えている。中でもおせちはハレの料理の代表であり、雑煮ひとつにも土地ごとに家ごとに、こだわりの味がある。今回の特集では、そうしたおせちの膳の中に県内各地の風土の豊かさ、広がりのようなものを見てみようと、主婦や料理研究家の方にお願いして、なるべく昔のままの姿で再現していただいた。

おせち

かつてのように親戚や近所の人たちが、盆や正月、祭りのたびに一軒の家に集まることが減り、核家族化も進んだことで、家の味もなかなか伝承することがむずかしくなってきたが、各地のおせちを見渡してみると、山には山の、海には海の、里には里の個性があった。雑煮や煮しめ、紅白なますといった定番の料理でもその中身はすべて異なり、小さなお膳にそれぞれの土地の風土や家ごとの歴史が、ぎっしり詰め込まれているようだ。それは何百年という時間の中で培われ、受け継がれてきたものだからこそ、ふるさとの言葉のように私たちの体と心になじむのだろう。

煮しめ王国としての宮崎

日本を代表する料理は、寿司や天ぷら以上に煮しめなのだろう。それはうま煮と呼ばれたり、筑前煮に姿を変えたりしてはいるものの、日本各地にハレの日のご馳走として伝わってきた。決して古くさいお惣菜ではなく、つい一世代ほど前までは、それに手を合わせてから食べてきたありがたいご馳走なのだ。

にしめ

「日本の祝いの料理を煎じ詰めれば、赤飯と煮しめになる」と、郷土料理研究家の森松平さん(ふるさと料理 杉の子)に教えていただいた。おせちの三の重に煮しめを詰めるのは全国に共通する。そのくらいどこにでもある煮しめだが、宮崎は煮しめ王国と呼んでいいのではないかと思えるほど、さまざまなものが伝わっている。

たとえば、だしをとる素材だけでも、地鶏、いりこ、干しアジ、塩いわし、昆布、椎茸、猪、野鳥と、海の幸、山の幸がふんだんに盛り込まれている。それは土地ごとの暮らしから生まれた「ご馳走」という言葉への答えでもあるのだろう。現在のように流通や栽培技術が発達する以前、たいていの食べ物はその土地で、その季節にとれたものだった。『地産地消』は食べ物への感謝や季節感を取り戻そうという運動でもある。情報化が一面で平均化につながることは仕方ないとしても、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた家の味という縦糸は、なるべくならいつまでも残っていってほしい。宮崎には、それを支える豊かな自然と風土がある。そのことを誇りたい。

ハレの膳の向こうには、たくさんの人々の笑顔が見えてくる。

昔、何か良いことがあるとご馳走を作って大勢で食べていた。今や、良いことがなくてもご馳走を食べられる時代になったが、それを分かちあう人々は、なかなか集まらなくなった。盆と正月がいっしょに来たようだ。という言葉があるが、お盆と正月といって思い浮かぶのは、大勢の親戚たちの顔ではないだろうか。

へそ飯

手に手に焼酎などの土産を下げて本家筋に三々五々集まってくる親戚たちは、やはりお互いにどことなく似ていて、宴が進むと子供は子供、お年寄りはお年寄りで、年の近い者同士が座敷の片隅に固まり、遊びの相談や昔話に興じていた。料理を作る女性たちは、さぞ大変だったことだろうと思うが、そうした場を通して「家」という一種のネットワークが形成され、その家の味もまた受け継がれていったのかもしれない。

そうした家の味が集まって土地の味になり、それはやがてふるさとの味覚として、故郷を離れた人の心の中でも生き続けていく。幸い、宮崎には土地ごとのハレの日の料理が、同じものはひとつもないほどの多彩さで伝わっていた。そしてその料理の向こうには、たくさんの人の笑顔が見えてくる。それは宮崎の風土や歴史の豊かさを示すとともに、それを伝えてきた人々の心の豊かさを教えてくれているようだ。