宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

Jajaバックナンバー

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フォト・ファンタジスタ

憧れと幻想の日南海岸 ◎写真・文:黒木一明

宮崎市 日南海岸

魔法の青いバスに乗って 西都市という海から少し離れた町に住むぼくの海岸デビューは、小学3年生の頃だった。一年に一度、高鍋町の蚊口浜まで宮交バスを貸し切って、村の住人みんなで遠足みたいにして出かけた。昭和30年代のことだ。その頃、マイカーを持っている人は、村にはいなかった。だから、宮交の青いバスは、まだ見ぬ未知の世界へぼくらを運んでいってくれる魔法の乗り物だった。

バスの中で、誰かが「われは海の子」を歌いだし、みんな大声でそれに唱和した。その頃元気だった祖父は、歌には加わらなかったけれど、ぼくの隣の席で湯飲み茶碗に焼酎を注いで、美味しそうに飲んでいた。海辺には藁葺きの海の家が、水辺に沿って長く長く続いていた。ぼくらは熱い砂の上を走り、大人たちは海の家の涼しい庇の下で昼寝をした。そしてぼくは、誰にも告げず一人で波打ち際まで行ってみた。砂浜は今よりもずっと広く、水にたどりつくまでとても遠かった。ぼくの、初めての冒険だった。

宮崎市 日南海岸
宮崎市 日南海岸

世界の海、宮崎の海 海に憧れながら育ったぼくは、やがてサーフィンを始めた。夜明けの海の美しさをサーファーたちは誰よりも知っている。ボードの上にプカプカ浮かんで見る朝日は、いつも僕をどきどきさせた。水平線に向かってパドリングして行く時の、額にあたる波しぶきの心地よさ。海そのものの、深い世界に触れた気分になる。

かつて海で生活していた生物が、再びふるさとの海へと帰っていく感覚。海の優しさ、波の創り出す造形の美しさ、夜明け前の海が深いブルーに包まれていく瞬間の神秘的な美しさに、僕は目覚めていった。やがてぼくは、海の写真を撮ることを始めていた。

宮崎市 イルカ岬
宮崎市 イルカ岬

今、ぼくは一年の半分近くを海外で過ごしている。優雅な海外ステイというものではなく、大体3週間くらいの日程でひとつの国やエリアを旅していく。帰国するとあわただしく写真を整理して、また次の国へ旅立つ。ギリシャ、タヒチ、モルディブ、ハワイ、オーストラリア、カリブ海の島々、どれもそれぞれに素晴らしいけれど、結局それが宮崎の海とひとつにつながっているのだということが、ふるさとの海を、ひとしお愛おしいような気持ちにさせる。そして、どの国の人も自分の海を愛している。ぼくらが宮崎の海を好きであるように。それだけで見知らぬ人々と、どこかでわかりあえるような気がするのだ。

宮崎市 白浜海岸
宮崎市 白浜海岸

沖に延びる白い桟橋サンジェゴからシアトルまで、アメリカ西海岸に沿って、パシフィックコースト・ハイウェイがまっすぐに延びている。 その海岸線の小さな町ごとに美しい桟橋が架けられている。人々はこの桟橋を散歩したり、その先端にあるレストランで食事をしたり、釣りをしたりして楽しんでいる。夕方になると、老人たちも潮の香りを求めて何処からともなく集まってくる。これは、人が憩うための桟橋なのだ。

宮崎市 一ッ葉海岸
宮崎市 一ッ葉海岸

ヨーロッパの都市が広場を中心に建設されたように、アメリカ西海岸の町々は、まるで桟橋を中心につくられたように思える。ここでは桟橋は広場であり、散歩道であり、カフェでもある。こういう風景は、日本では見たことがない。おそらく、日本でこれを作るとすれば日南海岸のどこかが、一番似合うのではないか。

どんな台風にも負けない、頑丈で真っ白い桟橋。そこで出会う人々。そこで生まれる恋。そこで育まれていく絆。宮崎の海を、人々とつないでいくための舞台装置としての桟橋。
日向灘の美しい海に映える白い幻の桟橋が、ぼくの脳裏にまっすぐに沖に向かって延びている。

串間市 石波海岸
串間市 石波海岸


写真右上より南郷町栄松海水浴場、宮崎市堀切峠、宮崎市日南海岸、南郷町 栄松海水浴場

 

Photographer
Kazuaki Kuroki 1956年西都市生まれ。ロスアンゼルス、シアトルを拠点に広告写真の分野で活躍。巨匠アービング・ベン氏との出会いを契機に風景写真に転じ、世界各地の風景と並行して宮崎の自然と四季の美しさを国内外に発信している。主な著作に「風の色」「水平線の色」など。