宮崎県季刊誌「Jaja」じゃじゃ

Jajaバックナンバー

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式守伊之助さん

土地柄が豊かでのんびり屋の宮崎の人は、
勝負事には向いていない。
でも、そこがまたいいところなのですよ。

相撲好きから行司の道へ

故郷の延岡市の中学校を卒業後、15歳で大相撲の世界に入られたわけですが、そのきっかけは。

式守:中学校の卒業式の十日前、昭和37年の3月6日に、三月場所が開催されていた大阪に向けて旅立ちました。兄が相撲好きでしてね、栃錦、若乃花といった当時の花形力士のことを話してくれて、それですっかり自分も相撲が好きになりました。力士の絵を描いたメンコなどもたくさん持っておりました。

相撲がお好きで、行司になられた。

式守:そうですね。もともと、私は内向的な性格で、人前でものを言ったりするのも苦手なたちだったのですが、どういうものか相撲が好きになって、行司という目標ができてからは、非常に積極的になりました。当時、延岡出身の松恵山(まつえやま)関という十両までいった方が、帰郷してちゃんこ料理屋をやっておられまして、そこへ「行司になりたい」と毎日、相談に行ったのですね。しかし、行くたびに、「辛抱できるものではないから、やめておけ」と。両親も大反対でしたが、とうとう押し切ってしまいました。

入ってみられて、最初の印象は。

式守:現在、行司は相撲部屋付きになっているのですが、当時は独立した行司部屋というものがありました。そこへ入ってみると、木村庄之助とか式守伊之助とか、とてつもなく偉い人がいて、面くらったことを覚えています。こちらは何しろ子供でしたからね。それから二ヶ月後、五月場所の前相撲で初土俵を踏みました。

相撲の世界では「辛抱」ということを、よく言われますが。

式守:行司も同じで、「辛抱しろ」「いつかは自分のためになるのだから我慢しろ」と、上の人には言われ続けてきました。それは確かにその通りで、あの時代の辛抱があったから、今日があるのですが、理不尽ないじめには閉口したものです。

どのようなものだったのでしょうか。

式守:若いうちは、毎日、いろいろなことがありましたよ。たとえば地方巡業に出ると、若手は給仕をさせられるのですが、酒を飲む先輩の脇で、ずっと正座をしていなくてはなりません。用があれば立って用をこなし、終われば正座です。これが毎晩10時まで続く。それもまた辛抱だというのですが、つらいものでした。私は、自分が先輩からひどいことをされたといって、同じことを下の者にするのは嫌いなんです。よくないことはやめればよい。そうでないと、きりがありません。

最近のいじめにも通じる話ですね。

式守:私は、「先輩は立てる、同年代とは仲良く、後輩は可愛がる、ずっと年配の人はいたわる」というのが本当だと思います。厳しいしつけや教育は、どの世界にも必要なことですが、それも相手を思いやる心があってのことですから。

一番、一番を無事にと願いながら

力士の大型化や国際化など、最近、大相撲も様変わりしてきたように思います。式守さんの目からご覧になって、いかがでしょうか。

式守:四つ相撲から突き・押しの相撲が主流になって、動きも速いので行司は大変になりました。私は初代若乃花の、気迫に満ちた相撲に憧れていたのですが、若乃花関にかぎらず、昔の力士はそれぞれに型を持っていて、お客さんは、その型や得意手を見るのを楽しみにしていたように思います。最近は、そういう独自の型を持った力士が減って、決まり手も寄りや押しが多くなっています。それから、立ち会いが乱れているのが気になりますね。

立ち会いを合わせるのが大変になったということでしょうか。

式守:そもそも合わせる気持ちがない力士がいます。相手をじらしたり、タイミングを外したり。白星も大事でしょうが、勝てばいいという立ち合いでは、お客さんも興ざめするのではないでしょうか。堂々と立つことから、相撲は始まるのですから。

宮崎県出身の幕内力士は、栃光関以来、30年以上出ていません。

式守:宮崎の人は、のんびり屋ですから、力士にかぎらず勝負事には向いていないのではないでしょうか(笑)。土地柄も豊かですしね。でも、それがまたいいところだと思いますよ。帰郷するたびに、宮崎はいいなあと思いが強まります。

最後に、これからの目標や、理想とする行司像などがありましたら。

式守:いや、目標も理想も思い浮かびません。本場所は、とにかく緊張するものですので、立行司として一番一番、一日一日を無事に乗り切ることだけを考えています。場所中、兄は地元の舞野神社に毎日参拝して、私の無事を祈ってくれているのですが、私も神仏に祈る心境で土俵に上がっております。

本日はありがとうございました。

平成19年11月28日 ホテルメリージュ延岡にて

知事を表敬訪問された式守伊之助さん
平成19年11月、九州場所の前に知事を
表敬訪問された式守伊之助さん。

式守伊之助さん
昭和21年、延岡市出身。地元の中学を卒業後、大相撲の行司の道に進む。昭和37年の初土俵から、十両格(昭和59年)、幕内格(平成6年)、三役格(平成18年)を経て、平成19年4月、行司の最高格である立行司・式守伊之助(第三十七代)を襲名、戦後生まれ初の立行司となった。立浪部屋所属。本名内田順一さん。